演題抄録

パネルディスカッション

開催概要
開催回
第54回・2016年・横浜
 

がん治療医として思うこと

演題番号 : PD-1

[筆頭演者]
佐々木 常雄:1 

1:がん・感染症センター都立駒込病院・腫瘍内科

 

 がん対策基本法成立後10年、2012年のがん対策推進基本計画改訂では「がんになっても安心して暮らせる社会の構築」を実現するとした。
 日本のがん医療は世界では最も進んでいると考えられる。しかし、患者からの評価はけっして高くはない。今回のディスカッションでは、治療医の立場から、不治となったがん患者の心の問題を中心に、がん人生の充実ということを考えたい。
 がん医療は経済・政策により入院期間短縮、外来治療、ホスピスへ、在宅へと移行し、治療と仕事の両立、超高齢社会・認知症など多くの問題を抱えている。
 各種分子標的治療薬は、免疫を下げない、内服薬など高齢者治療にも適しているが、高額の問題がある。末期でも、緩和ケアと並行しながら化学療法を続ける患者を嘆く医師もおられる。
 治療効果がなくなり、化学療法中止を告げられた時、患者はどう受け止められるか、医師の態度から「捨てられた命、厄介払いされた」とまで感じる方もおられる。
 標準化学療法が効かなくなると「もう治療法はありません。あと3か月の命です」といわれ、セカンドオピニオンに来られる患者は絶えない。
 医師の中には「死を考えたことがないから諦めが悪い。死の教育が必要だ」「日本人はもっとしっかりした死生観を持て」という。
 そうであろうか? たとえ患者自身が「死に対して心をととのえ、平静に死に対面できる、しっかりした死生観を持っている」と考えていたとしても、実際に死が本当に間近に来たときには、それが吹っ飛んでしまったのを私はたくさん経験している。
 緩和ケア医の中には「死を受け入れて亡くなる死は看取りやすい」と言い、死を受け入れるのが、よき死」との考えがある。「感謝して亡くなりました」「よき死だったと思います」という。しかし、「死を受け入れたように振る舞うとホスピスのスタッフはほっとしている」と患者は見抜いている。医療者が死の受容へ導くようなことは僭越なことであると思う。
 終末期において、患者の心はいつも「生きたいという気持ちと、死の準備をすること」の葛藤の中にあると思う。私がホスピスを訪ねると、こっそり「新しい治療法は出ましたか?」と尋ねられるのである。
 生きたいと思う気持ちは人間として当たり前のこと。終末期においては、弱さと未練を肯定する心、悔しさ、むなしさに一緒に付き合う姿勢が日本人に合った緩和医療に必要ではないだろうか。

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