演題抄録

特別講演

開催概要
開催回
第52回・2014年・横浜
 

葛飾北斎「富嶽三十六景」に潜む謎について ―富士講との関係―

演題番号 : SL1-1

[筆頭演者]
狩野 博幸:1 

1:同志社大学文化情報学部

 

葛飾北斎(一七六〇-一八四九)の代表的な浮世絵版画シリーズである「富嶽三十六景」(全四十六図)は、世界的にもよく知られている。「凱風快晴」(いわゆる赤富士)や巨大な浪を描いた「神奈川沖浪裏」など、日本をイメージする場合のよすがとなっているほどである。
 富士山は日本の古代から日本人にとって日本の象徴だった。日本で一番高い山であり、同時にもっとも美しい姿をしている山が、陸地の奥にあるのではなく、東海道という江戸と京都を結ぶ日本の幹線道路からも、駿河湾を航行する船からも見ることが出来る。文字どおり奇跡的な位置に存在する。富士は、天皇と同じく日本人の精神のふるさとともいえる。
 では北斎の「富嶽三十六景」出版の動機は、そこに由来するのだろうか。
 もちろん、それも一つの動機ではあるが、忘れてはいけないのは「富士講」の存在である。「富士講」は富士山に登るための互助グループであり、二十名ほどのグループが毎月わずかずつの金を拠出し合い、毎年何人かずつが拠出金を元出に江戸を発ち富士に登って、江戸に還って来る。
 十八世紀の前半に食行身禄という富士講の指導者が、当時の飢饉などで苦しむ人々を救うため、富士の洞窟で雪だけを口にして身を神に捧げる。その三十一日間の彼の言葉を書いた「三十一日の御巻」が残る。庶民出身の食行身禄のそれらの言葉は、どれも驚愕すべきものであった。人間の平等、男女の平等などが主張された彼の言葉が、アメリカ革命やフランス革命より半世紀前だったことに注目したい。
 北斎はこの身禄の精神的子孫である。それを裏付ける資料も紹介する。「富嶽三十六景」出版の意図を読み込むことによって、日本人の精神史の価値が明らかになる。

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